あれは、一人暮らしを始めて間もない、夏の蒸し暑い夜のことでした。深夜、喉が渇いてキッチンへ向かった私を待ち受けていたのは、シンクの中で悠然と触角を動かす、一匹の巨大なクロゴキブリでした。その瞬間、私の体は恐怖で凍りつきました。手元に殺虫剤はなく、叩き潰すなどという芸当ができるはずもありません。絶望の中、私の目に飛び込んできたのが、部屋の隅に置かれた、買ったばかりのサイクロン式掃除機でした。「これだ!」。私は、名案を思いついた天才科学者のような気分で、掃除機のコードをコンセントに差し込み、スイッチを最大出力にしました。轟音と共に、ノズルの先端が、まるでブラックホールのようにゴキブリを吸い込んでいく。その光景は、まさに圧巻でした。一瞬にして敵の姿は消え、私は文明の利器の偉大さに、静かに感動すら覚えていました。しかし、その安堵感は、長くは続きませんでした。問題は、その後です。スイッチを切った後、私はふと、ある恐ろしい可能性に思い至りました。「もし、あの中(ダストカップ)で、まだ生きていたら…」。その瞬間から、先程までの勝利の余韻は消え失せ、掃除機が、不気味な黒い塊を内包した、不発弾のように見え始めたのです。ダストカップの中身を捨てるのが怖くてたまらない。でも、このまま放置するのも、もっと怖い。その夜、私は掃除機をベランダに出し、自分はリビングのソファで、ほとんど眠れずに朝を迎えました。翌日、意を決して、ゴミ袋を片手にダストカップと対峙しました。恐る恐る中身をゴミ袋に開けた瞬間、私は見てしまったのです。ホコリの塊の中から、もぞりと動く、黒い脚を。仮死状態だったゴキブリが、息を吹き返したのです。短い悲鳴と共に、私はゴミ袋の口を縛り、固く、何度も縛りました。あの日の恐怖と、後処理の精神的な苦痛は、今でも私の心に深く刻み込まれています。以来、私は学びました。掃除機は、決してゴキブリとの戦いのための武器ではない、と。そして、家の各所に、必ず殺虫剤を常備しておくことこそが、心の平穏を守るための、最高の保険なのだということを。